みんなで語る体験談 〜患者さんの声〜
 
 

出産の喜びも束の間、50メートルの道のりも休み休みの激しい息切れ、動悸が続き近医を訪ねました。全く耳にした事のない病名、「原発性肺高血圧症」と診断されるまで5ヵ所の病院を紹介され、半年を要しました。効果的な治療を受けるまでには、さらに長くの時間を要しました。27才で発病、夫は単身赴任がち、娘は1才。医師より難病である事、予後の厳しさを聞き、少なからずショックを受けたものでした。家族にとっても同様で有ったに違いありません。病気をあまり苦にすることなく過ごせてきたのは、家族や友人の支えが有ったからこそと感謝しています。また、信頼できる医師、病気・年齢も様々なAPHの仲間、惜しみなく尽力して下さるご家族、ボランティアの方々の存在が私に更なる勇気を与えてくれています。現在は医学の進歩により、希望を持てる状況になりつつある事を実感しています。とは言え、進行性の病気であり、明日をも楽観できないという現実もあります。誰もが経済的に大きな負担をすることなく、諦めることなく、効果的な治療を受けることができる日が、一日でも早く来て欲しいと切に願っています。勇気と希望を持ち、この病気と向かい合い、前を向いて生きて行くことが、今の私にとって大切なことと思っています。
 T.Tさん(50才主婦)
 

私は24才の時(平成11年)に膠原病を発病し、同時に肺高血圧症を併発しました。どちらも難病指定の病気です。完治は今のところありません。以前は100万人に1人と言われていましたが、最近では20万人に1人くらいに増えているようです。なぜなら、この病気は発見が大変に難しく、肺移植でしか助からないとされていた為、発見される前に亡くなるケースが多かったからです。
しかしフローラン治療の保険適用により、20%程度とされていた5年生存率は飛躍的に上昇しました。私も慶應病院にて治療を始めました。しかし、体に管を通し直接肺動脈に血管拡張剤を24時間点滴注入するフローラン治療は、毎日自分で薬を調合し管理しなければならず、挿入部の感染を防ぐための消毒など患者の負担は非常に大きいです。酸素療法も受けている患者さんは、日常生活もかなり制限されています。フローランだけでは効果が出ない場合は経口剤を併用するのですが、比較的効果の高いボセンタンと言う薬は、副作用が強く服用できない人もいます。比較的副作用の少ないバイアグラと言う薬は、全額自己負担で月5万円から10万円もかかる為、経済的に使用できない人や途中で中止せざるを得ない人もいます。私もその1人です。現在の治療で効果を得られない人は、何年も待っていられない状況にあります。フローラン治療で効果のでている人も、経口剤の併用によってフローランを中止できる可能性も出てきます。私もそれを期待しています。フローラン治療を始めてから、車椅子ではなく自分の足で歩き、酸素も外すことが出来ました。そして平成17年1月27日には、良縁にも恵まれ結婚もできました。主人は私の病気を理解し、共に戦ってくれる優しく頼もしい人です。私の大好きな言葉に「病気になることが不幸なのではない。病気に負けてしまうことが不幸なのだ。」と言う趣旨の言葉があります。究極の楽観主義で何事もあきらめず前進していけば叶わない事はないと信じています。満足するまで生き抜いてそれを証明したいと思います。
 M.Mさん(30才主婦)
 

彼女は病気でしたが今年に入籍しました。病気ではありましたが、とても明るく、優しい人です。普段気が付かない、生きるという事は大変な事なんだなぁという事を気付かせてもらいました。世の中物騒な事ばかりですが、この人なら幸せになれると思いました。色々わからない事ばかりですがこれから勉強していきたいと思います。二人で病気に負けずに頑張ります。
 K.Mさん(M.Mさんの夫)
 

娘は青春真っ盛りの24才の時膠原病の合併症として肺高血圧症を発症して早6年近くになります。私は病気のことを知った時は頭が真っ白になりすぐに受けとめることが出来ませんでした。何回も入退院を繰り返してきました。初めての入院から1年後にはアルバイトに行ける程元気になりましたが、2回目の入院後は家での療養生活になりました。膠原病の方は落ち着いてきましたが、肺高血圧症の方はだんだん悪化し、とうとう心不全をおこして、酸素を24時間つけて生活する様になりました。発生率は100万人に1人とか、肺の血管がつまってくる病気であるとか、病気のことを知れば知るほどこの病気の怖さを実感する日々でした。しかし、フローラン治療を受けることができ、現在では酸素も外れて、肺圧もだいぶ下がり日常生活は大変楽になりました。自転車に乗ることができるし、結婚もできました。まだまだ闘病は続きますが、生きていること自体が尊く、本人が一番苦しい思いをしていることを第一に考えて、一日一日希望を持って生きて生きて生き抜いて欲しいと心から願う毎日です。
 K.Kさん(M.Mさんの母親)
 

わたしは、肺高血圧症発症、そしてフローラン導入歴2年8ヶ月経過中のPH患者です。フローラン導入後、病名・点滴・酸素など、全てのものを自分自身で受け入れるのに、約半年の時間が掛かりました。その当時の事は、今思い出しても大変辛い思い出です…。そんな中、私が一番信頼している人の言葉が、自然体で生きる為のヒントを与えてくれました。“毎日泣いて過ごしても、あなたの人生だから間違いではないよ”と。落ち込んでいる状態を否定せず、「別にそれでも良いんだよ!」と言われた事…。それにより「頑張らなきゃ!」と、目的も見えず、ただがむしゃらに肩の力を入れていた自分を、解放してあげる事が出来たのです。どうせ同じ時間を過ごすなら、少しでも多く笑って過ごしていたいな〜!!と、単純に…。そんな気持ちになってきた時、タイミング良くAPHの話を知りました。自分も会員となり、何かプラスの力を発揮出来ると良いなー!と、漠然とした思いから、迷わず飛びつきました。そして実際に、会員の方は皆プラス思考の人達ばかり!その中において、現在新たなパワーをもらって生活しています。わたしには、小学5年生の娘が1人います。その子供から最近面白い話を教わりました。「ママ〜、学校の先生が言ってたけど、ため息を1回つくと幸せが1つ逃げるんだって!」…だそうです。人の話って勉強になるな〜と、娘から教えられた話にも、改めて実感しております。現在APHに入会されている方は、それぞれ年齢や性別,職業や性格…など様々です。物事の考え方も色々ですが、『病とともに生きる』〜明るい未来のために〜と、目指す所は皆一致しているので、大変心強い仲間だと確信しています!今後、1人でも多くの方の“力”、そして“笑顔”や“話題”で、APHに新たな風が吹き込まれる事を期待しております。
 N.Tさん(30代主婦)
 

病気になってもつらいことばかりではありません。探せば楽しい事も沢山あります。
 N.Nさん(N.Tさんの夫)
 

私はヒックマンカテーテルを壊し、修理したことがあります。クレーブコネクタを交換する時に、皮膚消毒用ヨードを間違って塗ったのが固まってしまったようです。そうとは知らず、固くてまわらないのを力を入れて外しました。その時にヒックマンに亀裂が入ってしまったようです。病院に連絡をし、処置していただきましたが、私の場合休日を挟んだので、取り寄せに時間がかかり4日後に交換。その間は腕の静脈からフローランを流し維持しました。フローランは静脈に流すのにはとても痛く、血管を壊してしまうので、何度も違う血管につなぎかえるという辛い4日間を過ごしました。先生には手術用の器具を使えば割れずに済んだと言われました。もし交換の時、回りにくいことがあれば、無理せず病院で外してもらうほうが安全だと思います。
 N.Yさん(40代・主婦)
 

最初に異変を感じたのは、山登りでした。頂上付近で登れなくなったのです。その時は運動不足と思い、以後、スポーツジムに通ってトレーニングしたり泳いだりしました。太極拳にもはまりました。次に異変を感じたのは数年経てからで、階段の昇りでおかしいと思いました。今度は年齢的なことと思い、そのまま運動を続けたのですが、犬の散歩中に坂道を上りながら息切れを覚え、いままでになかった異常を感じました。数ヶ月経過し、市の健康診断を受診し、心電図に異変があると言われました。そして某大学病院へ検査入院し、PPHと診断されました。その時、この病気は治療方法がなく、ただ、死ぬのを待つだけど言われました。あきらめ切れず主人がインターネットで探し、治療している病院がある事を知り、外来受診。即フローラン治療となりました。
PPHの場合、目立った症状のないまま突然悪化するので、突然の難病と告げられた後、フローランを在宅治療する為の習得と病気を受け止める余裕もありませんでした。特に、体にカテを通して今までになかった不自由さを感じ、毎日はどん底でした。
前向きな考えになるまで、1年半掛かりました。今思うとやはり時間が解決してくれるのかなと思います。現在は、外来に行って多くの同じ患者の方とお会いし、又、在宅治療なので友人も遊びに来てくれますので、病人なりに別の楽しみを見つけ出してすごしております。最初の1年半は本人を含め家族も大変な毎日だったと思いますが、今は互いに楽しみを見つけ前向きになりました。
私は酸素吸入とフローラン治療ではあまり顕著な改善がなく、バイアグラを併用してから格段に良くなった気がします。また、肺移植の登録もしましたのでドナーの現れるのを待っています。初めはフローラン治療のみ、次にバイアグラ、これからまだまだ研究開発され治療法も日進月歩良いものになると期待し、一日も早く根治治療ができることを願っています。
 K.Kさん (50代主婦)
 

PPHと診断された家内は、全く知らない病名だったため、インターネットでどんな病気か調べはじめました。一緒に検索結果を見てみると、お先真っ暗の悪い内容で、インターネットは見ないことにしました。それでも当時の関心事は卵巣腫瘍の摘出でした。親戚の卵巣癌による訃報があったからです。その為、PPHであるにも関わらず、全身麻酔による手術を開始したのですが、異常な数値が示され手術は中止となりました。懇意の開業医からの紹介状で検査入院した著名な大学病院だったので、全く信用していたのですが、PPHである以上、全身麻酔による手術は不適当でした。今から考えると、セカンド・オピニオンが絶対に必要だったと後悔しています。その後、インターネットでPPHに造詣の深い主治医に巡り合え、現在ではフローランとバイアグラにより在宅治療で一定の生活を維持できています。
PPHと診断されたとき、患者本人は「何故、自分が?」と思い悩むだけで、病気を受け入れることができない状態がしばらく続きます。その間、家族がやるべきことは、難病申請や障害年金など、可能な限り各種制度を調べて手続きを行うことです。PPHと診断されて自動的に生まれるものは何もありません。また、究極的には肺移植が必要になることも考えられますので、家族としては、冷静にそこまで考えておくべきです。それから私の場合、思い悩む患者本人と同じ土俵に上がることは止めようと思いました。キーワードは能天気です。患者と家族が一緒になって病気の負の渦に巻き込まれてしまってはいけません。家族は患者本人の真の辛さを理解することは不可能だと割り切って、逆に明るい環境を築きあげることを優先すべきだと思います。PPHと診断されて落ち込んだ患者本人も、時間が経てば意欲が出てきます。その時必要なのが明るさです。また、「面倒」という意識も捨てました。介護の基本だと思います。
 M.Kさん (K.Kさんの夫)